質の高い記事だけを一切妥協せずに書き続ける意味

サイトやジャンルで参入障壁を確保する方法はいくつかあります。デザインにお金をかけて見栄えの良いサイトを作る、1000記事以上を書いてページ数で勝負する、数万円する高い中古ドメインを購入してバックリンクにする、など。

しかし上記の参入障壁はいずれも、お金さえあれば簡単にキャッチアップが可能です。つまり、資本力のあるアフィリエイターや法人が参入してきたら簡単に飽和してしまう、ということです。では個人アフィリエイターは何で勝負するべきか、というと、最終的には1ページあたりの質しかないと感じています。

意地でも質の高い記事だけを入れ続ける

最近はSEO対策の知識の収集など、マーケティング的なことはあまりやっていません。毎日、本気で記事を書いているだけです。それ以外何もやっていません。

正直、質の高い記事をかくのは非常に疲れます。1ページ書くのに3~4時間かかることもザラですし、そうやって作った記事も1~2カ月たったら見返して、また2時間くらいかけて修正しています。どんどん自分の中で、記事のハードルが上がっていますが、そのレベルの記事でないと、今後は書く意味がないと感じてきています。

記事の品質だけは、いくらお金があっても簡単には真似できません。1ページ1万円単価で専門ライターを雇われると流石に少し苦しいですが、それでもそのライターよりも良い記事を自分で書けばいいだけです。

ジャンルに対する専門知識の蓄積も参入障壁

毎日毎日、膨大な調べ物をしながら圧倒的に濃い記事を書き続けていると、どんどん専門知識が蓄積されていきます。本や書籍だけでなく、1次データや1次情報を処理できるようになり、また本や書籍の専門家の見解に対して、間違いを指摘できるレベルに知識が付いてきます。

知識があることと、「売れる」記事が書けることはまた別ですが、少なくとも、知識があることと、「良い記事」を書けることには深い関連性があります。良い記事の定義は難しいですが、ざっくりいうと直帰率が低くて滞在時間の長い記事です。最近だとようやく、20分以上滞在されるような記事も増えてきました。

同じジャンルで記事を書き続けるとレベルが上がる

最初の頃に4~5時間かけて必死になって書いた記事でも、いろいろ勉強を重ねて、数カ月後に見返してみると、「なんともレベルの低い記事だなぁ」と感じることはよくあります。たかが4、5時間のリサーチで本当に良い記事がかけるわけがないので当たり前です。

でも、繰り返し、繰り返し、何度も1つの記事を修正することで、どんどん記事が洗礼されていきます。最近は無駄にページ数を増やすよりも、ひたすらページを洗礼させることに集中したいと考えています。

Wikipediaの記事の質があれだけ高いのは、何度も何度も加筆修正がされているからです。1度、頑張って書ききった記事を、再度修正するのは死ぬほど面倒くさいですし、まして一度、頑張って書いた記事を消したり、文章を削るのは「勿体ない」気持ちになりますが、そのプロセスを経ないと良いサイトにはならない気がします。